味噌・甘酒・漬物は古くから日本人に親しまれてきた伝統食品・発酵食品です。
我々はこの伝統食品・発酵食品を守るとともに「新しい食生活・食文化の創造」も同時にしていかなくてはなりません。
そして、それらの製品が安心・安全、そして美味しくなくてはなりません。
我々食品メーカーは愚直に美味しさを追求し、多くの方に食べていただき喜んでもらうことを第一に考え仕事をしてまいります。
代表取締役 稲垣 勝俊
創業者の稲垣来三郎(右・1935年撮影)
創業
信州南部に位置する飯田市で、1925年(大正14)稲垣昌三氏が創業した味噌と醤油の醸造業が丸昌稲垣の始まりです。その前身として、1908年(明治41)の米穀商にさかのぼり昌三の父・来三郎が興したものであります。
その後、信州味噌の飛躍を目指して首都圏中心に販売店問屋組織を整え、長野県味噌工業協同組合連合会を結成し、約300の生産者が団結して共同販売する体制を取りました。効果は目覚ましく県外出荷量は急増。今日まで続く信州味噌黄金時代に突入していきました。
この組合の初代理事を務めたのが稲垣昌三でした。
1956年 ~ 1985年の年にかけて、スーパーマーケット御三家と呼ばれることになる「西友」「ダイエー」「イトーヨーカドー」の前身が相次いでオープンしました。問屋を通じた小売店での販売から、スーパーマーケットへという流通革命の始まりでした。
丸昌稲垣は1951年に開設した東京営業所を拠点に、スーパーマーケット御三家全てに野沢菜と味噌漬を納め、大手スーパーと直接取引するナショナルブランドに急成長。問屋が工場をもったことで、同族間の競合となることを避けるため、1973年(昭和48)に合併、改組して株式会社を設立しました。
同族間で交代して社長を務め、1999年(平成11)に紘一郎が社長に就任し、その後2012年に稲垣勝俊が6代目社長に就任しました。
「漬物は京都というだけで高級品。信州というだけで大衆品になるのは悔しい」という想いを反映し立ち上げたブランドが「稲垣来三郎匠」です。
「原価が高くなっても産地や製法にこだわっておいしさを追求」この想いが大いに受け、日本一の売り上げを誇る中央道自動車道談合坂サービスエリアからの引き合いも来るなど直販に弾みがつき、スーパー一辺倒からの脱却の契機となりました。
2004年(平成16)味噌工場の敷地内にあった古い倉庫を撤去し、築130年の古民家を移築した風情あふれる直営店をオープン。観光客の立ち寄りスポットとして大変賑わっております。「稲垣来三郎匠」ブランド商品は160点を超えます。
安心・安全・美味しさを提供する事により、
企業としての責任を果たす。
感謝と調和
民芸あまざけが長野県知事賞受賞しました!